【美保神社】青柴垣神事と国譲り神話【事代主神】

出雲の神様
こんにちは、はっさくです。

今回は、美保神社に行ってきました。

目の前に美保湾が広がります。


恵比寿さまの総本宮と言われるだけあって、海に関係する神様が祀られている神社です。

この神社にも、辻褄の合わない謎が存在するのです…


神話と口伝、両方から考察していきたいと思います。
夏の美保湾。きれいなこの港町にも悲惨な話が存在するのです。

美保神社の御祭神

美保神社の御祭神は、事代主神ことしろぬしのみこと三穂津姫命みほつひめのみこと」です。


事代主神ことしろぬしのみこと

大国主命の息子  
恵比寿さまと同一にみられる

神話の国譲り

出雲にアマテラスから武御雷たけみかづちが派遣されます。
大国主命は子の意見を聞くように促す。
美保の岬にいた事代主神に問うと、国を天孫に譲ると言い、すぐさま姿を隠す。


三穂津姫命みほつひめのみこと

天つ神の高御産巣日神たかみむすびのかみの娘

国譲り後の大国主命の妻



ここで疑問が浮び上がりました。


国を武力で奪われ、屈辱感に包まれ消えた事代主神と

国を奪った側の人物が

一緒に祀られているのは、不自然ではないでしょうか。

本来の御祭神

神社の方に伺ったところ、本殿の中には御穂須須美命みほすすみのみことが祀られているそうです。

こちらの神様が、本来の御祭神であると思います。

御穂須須美命みほすすみのみこと

大国主命とこし(福井県、山形県)の奴奈川姫ぬながはひめの子


美保の地も、歴史もヤマトに上書きされた証拠ではないでしょうか。

美保神社は、左右二殿連棟の特殊な造りで、

それぞれ、事代主神と三穂津姫命を祀ってあります。

しかし、出雲の民の心情を考えると、御穂須須美命を本来の御祭神として

祀ったのではないでしょうか。

青柴垣神事

青柴垣神事あおふしがきしんじは、毎年4月7日行われる、国譲りに起因して行われる神事です。


事代主神が国譲りの決断をし(無防備な時、武力で攻められたと思われます)、

青い柴垣を作って、自ら海中にお隠れになったという

故事にちなんだお祭りです。


当屋を決め、一年間、潔斎(穢れを祓う)。

祭礼前日から神社に籠もり、物忌潔斎に入り、断食して神を降ろせる状態にします。

当屋夫婦を、青柴垣を飾った二隻の船に載せ、港内を一周します。

その後、美保神社に参拝します。

口伝から

記紀神話、その他古文書には書かれていない、口伝が存在します。

口伝では、

ホヒ族(大国主命の娘と結婚したとあるので、天若日子あめのわかひこと思われます)が裏切り、手引し、

天孫族が九州から船で攻めてきます。


大国主命は、ウサギ峠のほら穴に閉じ込められて亡きものに。

大国主命の子のタケミナカタは、「越」に後退し、信濃に第二出雲王朝をつくる。

事代主神は、天孫族へ呪いの言葉を残し、自ら海に飛び込み、この世を去ります。


事代主神の呪いを、天孫族はとても恐れていたと言います。

神事で、夫婦を船に載せることから、

一家断絶したのだと推察します。

事代主神の子は、美保神社本殿の後ろに小さく祀られています。

共に入水したか、後に亡きものにされたか、どちらかでしょう。

終わりに

神話では、国譲りは平和に行われたとありますが、

実際は、朝鮮からの侵略で国を奪われたのでしょう。


そのほうが、色々と辻褄が合うことが多いです。



この神事のことを知ってから、

事代主命の無念と悲しさで、胸がいっぱいになりました。



古代出雲の人々は、争いを好みませんでした。


鉄器は、農耕の道具としての役割が大きかったのですが、

朝鮮から国を奪いに来た人々は、人を「あやめる」ことの意味が大きかったと思われます。


日本先住の民は、地域に根付き、お互いを尊重して、

人は宝として、平和に生きてきたのでしょう。


天孫の仮面をかぶった、侵略者が来るまでは…

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