こんにちは、はっさくです。
今回は玉造に行ってきました。
地名の通り、古代から玉を作っていたところです。
賑やかな温泉街の上には、玉作湯神社があり、
ほんの少し温泉街から足を延ばせば、古墳や遺跡がたくさんあります。
古代出雲の人々の息づかいを感じに、いってみましょう。
碧玉の勾玉
玉は、古代の装身具で祭祀に用いられたと言われています。
古墳時代には威信財として、力の強いものが玉を持っていました。
古事記には、曲玉
日本書紀には、勾玉
魏志倭人伝には、句珠
縄文時代の遺跡から出土するものが、最も古い。
古墳時代に最盛期をむかえ、奈良時代に消滅しています。
旧石器時代の頃は「お守り」としての役割をもっていたと思われます。
初めは、王族やリーダーが身につけていましたが、
後に玉を身につける人が増え、威信財としての意味が薄くなっていきます。
しかし、リーダーの玉と庶民の玉は質と量が違います。
価値の大きい玉は、ヒスイでできた物で、
希少で硬度が高く、加工が難しいです。
古代の人は「青」に魅せられていたようで、
希少なヒスイに代わって、碧玉を使い装身具を作ったのでした。
「青」は自然界の植物にはない色です。
そこに、神聖さを見出したのでしょうか。
道具の工夫と玉の素材
はっさくは、一番の難所は穴あけだと思います。
出雲にある四隅突出型墳丘墓から出土したビーズを見ましたが、
とても小さく、加工する人たちの技術は飛び抜けていたと感じました。
玉の素材は、比較的柔らかいものから、硬く加工が難しいものに変化しています。
初めは、動物の骨や石などで穴あけしていただろうし、
それで穴が開く素材は、硬度が低いものだったでしょう。
しかし、古代日本の人は、
大陸から入ってきた鉄で、針を作るという発明をしたのでした。
これによって、硬い素材も加工できるようになり、
玉が多く流通したと思われます。
玉造の、石の加工場の遺跡の近くには、鉄を作る場所があります。
鉄は、農機具、武器以外にも、
加工することで
人々の生活の中に、なくてはならない大事なものになりました。
加工する知恵は、今でも日本人の得意とするところですね。
玉の素材は、日本海側で多く産出されています。
出雲の碧玉や、北陸の緑色凝灰岩の産地は、白山火山帯の中にあります。
そして、火山帯であるが故、玉と温泉はつながっているのです。
古墳と勾玉
玉造には、古墳や遺跡がたくさんあります。
玉に携わる集団のリーダーの墓でしょうか。
威信財を生み出す人々は、力を持った人に重用されただろうし、
それによって、力や富を持った集団だったのでしょう。
古墳を作れるほどの、力と富です。
しかし、玉の文化は消滅しますし、古代出雲の栄華もなくなっていったのでした。
終わりに
古代の玉の産地として有名なところは、
新潟糸魚川市姫川のヒスイ、松江市 花仙山の碧玉やメノウ
で、「高志」と「出雲」です。
高志と出雲は、ヤマトができるずっと前から、繋がりが深く、
同じ宗教観を持った民族がいたと思われます。
その後、松江市周辺(意宇)を支配したのは天穂日命の子孫である、
出雲国造たちでした。
ヤマトの神武一族とは仲が悪く(同じ朝鮮系渡来人であるのに)
ことごとく、屈辱を与えられています。
玉の価値が下がったのは、はたして流通量が増えたからでしょうか。
はっさくは、こう考えてみました。
ヤマトの天孫族が、出雲国造たちの力と富を削ぐため
わざと玉を重用しなくなったのではないでしょうか。
この諍いは、近代まで続いていたようです。
出雲大社が天皇に謀反を企てていると、結構大きな悶着があったみたいですよ。
古代の神とは、人々を導いてきた人たちで、
何もなかったところに、何かを興した神には、
色々なドラマがあったと思います。
そして、古代日本には謎がたくさんあります。
記紀神話や、その他の口伝や書物の辻褄を合わせるには、
その時代に、心をタイムスリップして人々の気持ちになるのが一番でしょう。
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