【事代主命と長髄彦】出雲と東北アラハバキをつなぐ【波波伎神社】

出雲の神様
波波伎神社鳥居
こんにちは、はっさくです。

今回は鳥取県倉吉市にある、波波伎神社に行ってきました。

この神社は保護林の中にあり、入り口の鳥居からは

本殿が全く見えません。

神社の名前から、古代の物語が見えてきますので

ご紹介したいと思います。

波波伎神社

波波伎ははき神社

主祭神 事代主命ことしろぬしのみこと(大国主命の子で国譲り神話に登場)

事代主命は伯耆ほうき国を開拓したと言われています。


波波木とは竜神が巻き付く御神木

のことで、ハハキがなまって伯耆ほうきになりました。


現在は内陸部ですが、古代は海が大きく入りくんでいたため海の近くでした。

「国譲りのあと、船で出雲を出、伯耆の国の福庭に着いた。そしてお隠れになった。」

というのが神社の由緒です。

国譲りの神話で美保神社は有名ですが、この波波伎神社の存在を知る人は少ないです。

東北アラハバキ神

みなさん、東北に伝わるアラハバキという神様をご存知でしょうか。

アラハバキ

主に東北から関東地方で信仰された神で、記紀神話や風土記等には記されていない謎の神

脛巾(ハバキ)の神 (すね当てのことです)

すねという音から、長髄彦ながすねひことされることがあります。


諸説ありますが、ここでは蛇神説をたどっていきます。

ハハとはの古語で、ハハキとは蛇木あるいは竜木

アラとは竜神のこと

客人神まろうどがみ(土地の主祭神に対して来訪神)として祀られていることが多いですが、

はっさく的には、後から来たアマテラス、スサノオ信仰に追いやられた格好だと思われます。

伯耆の波波伎と東北のハハキがここで繋がりました。

それでは、この間に存在する物語をご紹介したいと思います。

出雲神と東北アラハバキ神をつなぐキーマン長髄彦

長髄彦は、古事記では、富美那賀須泥毘古とみのながすねひこまたは登美毘古とみびこと記されています。

ナガスネヒコという名ができたのは、神武天皇即位から150年たった頃です。

自身では、トミ彦、大彦と名乗ったようです。

大彦というのは、皇太子の意味で、トミ家の皇子というところでしょうか。


記紀神話では神武東征の際、主君の饒速日命にぎはやひのみことに切られますが、

ご紹介する話は全く違います。(記紀神話は歴史改ざんされている所が多いです。)


ナガスネ彦が統べる国は、ヤマトの物部氏に攻め込まれ

民と共に東に逃げます。

都を駿河の安倍川付近に移し、トミ家に援軍を頼みます。

しかし、軍を分散する余裕なく断られ、さらにトミ姓を使用することを禁じられます。

実は、事代主命の子孫がナガスネ彦であるという話があります。

(ナガスネ彦が亡くなった後、事代主命の領地、摂津国三島の阿武山にちなみ「安倍」姓を使うことになります。)

援軍を、日本海方面にあった同盟国のクヌガ国(クナト国がなまってクヌガに)に頼みます。

クヌガ国とナガスネ彦は、共に祖先がクナトの大神です。

クナトの大神は、アマテラスやスサノオより前の神様です。(出雲神族と言います。)


出雲族の分家である「安倍家」は

大和⇒駿河⇒常陸国 と東へ逃げていきます。

出雲族が住み着いた国を「太陽の昇る国」⇒「日立ちの国」といい、

駿河の日本平の日本は「日の元の国」という意味です。

古代日本列島には、日の元(日本)と倭国の二国が存在したのです


日本の国名は、東北の日高見国が先に使っていました。

さらに、「荒覇吐あらはばき王国」とも称していました

終わりに

クナトの大神は世襲制でした。

神とは、統べる者のことで「上に立つもの」=(かみ)のことだと、はっさくは思います。

そして、本当の神は、

出雲神族が信仰していた「竜神」のような超自然的な存在ではないでしょうか。


みなさん、神社に参拝する前、さっと雨が降ったことはないですか。

はっさくは、この雨をみそぎの雨」と呼んでいます。

きっと竜神様が、参拝する人たちを浄化してくださっているのでしょう。

次に神社にお参りされる際は、

自然を感じながら神様にご挨拶してみてはいかがでしょうか。

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