【クナトの神】大国主命、スサノオより前の出雲族【出雲井神社】

出雲の神様
こんにちは、はっさくです。

今回は、出雲井神社に行ってきました。

出雲大社から徒歩約10分のところにある、小さなお社です。

この社の御祭神は、岐の神(クナト、本来はクナドの大神)です。

この神様と、古代出雲にいた出雲族とよばれる人々のことを

みなさんと一緒に追っていきたいと思います。

クナトの大神

クナトの大神

「くなど」 来てはならないの意(厄除け)

道祖神と同一神(外来の疫病や悪霊を防ぐ)


「古事記」
黄泉から帰還したイザナギが禊をする際、脱ぎ捨てたしたばかまから「道俣ちまたの神」が化生。

「日本書紀」
黄泉比良坂よもつひらさかでイザナミから逃げるイザナギが、「これ以上来るな」と投げた杖から
「来名戸祖神くなとのさえのかみ」が化生。


幸の神さいのかみ、三神
龍蛇神「クナト神」(道祖神)
妃は「幸の神」 俗名「八岐姫やちまたひめ」(斐伊川の支流が八本あることからでしょうか。)
子は「猿田彦」


記紀神話以外では、クナトの神はイザナギとイザナミの長男とされています。

ヒルコのことでしょうか。(はっさくは、ヒルコを太陽神と考察しています。

出雲族

この三神を祀っていたのは、出雲族とよばれる人たちでした。


この出雲族、いつ頃どこから来たのでしょうか?


⎯⎯⎯ 紀元前2000年頃

ドラビダ人(インダス文明を興したとされる)といわれる人々が、

インド西部のクナ国からクナト王の命で樺太を通り日本列島へ。

なぜ日本列島へ?

ドラビダ人は母系家族の農耕民族で、争いを好みません。

この民族が住む国に、父系で戦闘的なアーリア人が侵入してきたことで、移動してきたと思われます。

クナトの神は世襲制で57代続いたといわれます。

長い年月をかけて、樺太から南下してきたのは、

気候変動があったからだと推察します。

はじめは温暖だった北日本が寒冷化して、農耕民族であったドラビダ人は生きやすさを求めたのでしょう。

古代の日本列島の人々

宍道湖は、昔、遠浅で海とつながっていました。

格好の船着き場だったのではないでしょうか。

貝類も魚も獲りやすかったでしょう。

出雲では、朝鮮の焼き物や土器が発見されています。

北九州を通らない、直接出雲とを結ぶ、船のルートがあったと思います。


宍道湖には、北九州と朝鮮から、

中海には、高志こし(北陸)から物資や人が入っていたことでしょう。

出雲と高志のつながりは大きく、今でも古志原こしばら、古志町という地名が残っています。

有名なヤマタノオロチも、実は高志のヤマタノオロチと記載されています。

大国主命の嫁のひとりの、ヌナカワヒメも高志の人です。


また、ドラビダ人より前に、九州の南側からも別の人種が入ってきています。

現在は海底に沈んでいる、幻の「スンダランド」からです。


タイの中央を流れるチャオプラヤー川が、氷河期に形成した広大な沖積平野は

8000年にわたる海面上昇により、幻になってしまいました。

スンダランドから、大陸に渡った人も、日本列島に来た人もいたでしょう。


しかし、約2900年前、九州の姶良あいらカルデラが大噴火します。

海人であった彼らは、船で東へ移動したことでしょう。

その後、ドラビダ人と同じく気候変動により南下してきます。


海人と農耕民族、交われば、食べて生きるということに関しては

今までと比べ格段に良くなったと思います。


良い港と、肥えた土地、技術を持った人々…

古代出雲は、古代日本列島の大都会だったのではないでしょうか。

終わりに

古代日本には、様々な民族がいたと思われます。

各々、言葉も違ったでしょうから、通訳する人も存在したでしょう。

今の、少し閉鎖的な日本人とは違って、古代日本のほうがグローバル!


実は、大国主命の息子アジスキタカヒコネは、クナトの神だったとか。

何代目のクナトの神なのでしょうね。


出雲族は、ヤマト建国頃の戦いのさなかも、

戦いを好まないという思想を持って生き延びています。

人は「生きてこそ」という本質を大事にしたクナトの人々は、

神の真理を伝えた神ということでしょう。

崇高な出雲族の血は、今も日本人の中に生き続けています。

そう、あなたの中にも。

コメント

  1. […] 後者の諏訪神党にしても、姓に「沢」という字が付く出雲族が多数いて、やはり古代インドの南インドから、日本の信濃国すなわち長野県に入り込んで来ています。「塞(サイ)の神」またはクナト神もしくは「ミシャグジ神」を信仰する、出雲王族ですね。 […]

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