【富神社と龍蛇神信仰】出雲神族直系の富氏

出雲の神様
こんにちは、はっさくです。

今回は、出雲市斐川町にある富神社とびじんじゃに行ってきました。

の字があることで、金運、出世運に良いとされ、

宝くじ売り場などで、御札があったりします。

そんな富神社はどんな神様がいらっしゃるのでしょうか。

はっさくと一緒に、古代の謎解きをしに行ってみましょう。

富(とび】神社

【御祭神 八束水臣津野命やつかみずおみつぬのみこと

出雲国風土記に、国引き神話というお話があります。

佐毘売さひめ山(三瓶山)と火神岳(大山)を杭にして、網をかけ、

「国来国来(くにこくにこ)」と4つの土地を出雲に引き寄せ、国をつくった。

出雲国風土記だけにある神話で、記紀神話にはないお話です。


風土記には、「出雲社いずものやしろ」と記載されているが、富神社がそれに当たるか定かではない。

平安時代中期に編纂された「延喜式神名帳」にも記載されている神社。


はっさくは、この神話、

色々な地域からの民族が集まったことの表現か、

または、同族が治めていた地域の中央を、出雲の地にしたお話だと考察します。

小さなお社は全て「龍蛇神」

この地方の「荒神さん」と親しまれる神様は、どんな神様でしょうか。

富神社では毎年12月、わらで蛇を編み、荒神に巻き付け奉納します。

そうです、荒神様は龍蛇神なのです。


そして、この神社の稲荷社の御祭神は、宇迦之御魂神うかのみたまのかみ(女神)です。

宇迦之御魂神は、食べ物を司る神様で、記紀神話にも登場します。

富神社は、出雲郡出雲の郷ですが、隣に宇賀うかの郷があります。

宇賀とは、人頭蛇身でとぐろを巻く姿をしています。

つまり、この稲荷社も龍蛇神をお祀りしているのです。
龍神の祠も、ちゃんと単体であります。

一番奥にあるこのお社は、この神社の核心ではないでしょうか。


さらに、竜神様の斜め前に、金毘羅神社と書かれたお社があります。

御祭神は、大物主命おおものぬしのみことです。

大物主命は、出雲の大国主命と共に、国造りをした神様で、

もちろん、出雲神です。

ヤマト(奈良)の三輪山に鎮座する神で、国津神の代表的存在です。

大物主命と龍蛇神をつなぐ神話をご紹介します。


《神話から》

崇神天皇十年、ヤマトの巫女が大物主命の妻になり(神と神の声を聞く巫女という関係)、

悲劇が起こります。

大物主命は昼間に姿を現さず、巫女は昼間、姿を見たいと申し出る。

すると大物主命は、「翌日、櫛笥くしげに入っているが、見ても驚くな」と告げる。

翌日、櫛笥を開けてみると、きれいな小蛇おろちが入っていた。

巫女は、驚き、声をあげてしまう。

大物主命は怒り、人の姿になって三輪山に帰ってしまった。

巫女はショックで尻餅をつき、箸でホト(陰部)を突き亡くなってしまう。


大物主命もまた、龍蛇神なのです。

富という名の出雲神族

古事記の中で、神武東征の際登場する、

ヤマトに勢力があったと思われる、長髄彦ながすねひこという人物がいます。

大国主命の子の、事代主命ことしろぬしのみことの子孫とされ、富美那賀須泥毘古とみのながすねひこまたは、登美毘古とみびこといい

富家の分家で、皇太子であったと思われます。

ヤマトから追われた長髄彦は、東へ逃げ、逃げた先で龍神信仰の社を建てます。

富家は出雲神族で、龍神信仰でした。


実は富氏、古代から現代も続いています。

スサノオを信仰するホヒ一族(出雲国造)やアマテラス信仰のヤマト(皇族)に、

追いやられた後、出雲神族の直系である富家は、何をする一族だったのでしょうか。


陰暦の10月を出雲では「神在月」と言います。

全国の国津神が、出雲大社に集まってこられるからです。

神在月の頃、季節風が吹き、海が大荒れします。(お忌み荒れといいます。)

その後、海がおだやかになると、美しく品の良いウミヘビが稲佐の浜に寄ってきます。

このウミヘビを「竜蛇さん」と呼んでお迎えします。

この「竜蛇さん」を出雲大社にお迎えし、その後、国津神が出雲の地に上がってこられる

という神事を行っていたのが、富家でした。

しかし、正しい神事は、明治になってから中断しています。

神事の正しいやり方を受け継いでいた「富村雄」氏が、

西南戦争時、西郷軍に身を投じたからです。

出雲神族の直系で、神事を行っていた富氏が退いたことにより、

神迎えの神事が2つ消えています。

それに合わせるように、「竜蛇さん」も稲佐の浜には姿を見せなくなりました。


本来、龍蛇神が出雲に上がって来られた後、国津神が来られるのに、

きちんとしたやり方を知らない出雲国造(千家)が、見様見真似でしている神事では、

神々は出雲に上がって来られないのではないでしょうか。

終わりに

715年、国造 出雲冶郎信正の三男 出雲信俊が分家し、

富神社に、国造の遠祖神を合祀して自身の管轄下に置きます。

この遠祖神、スサノオのことだと思われます。同じ朝鮮系渡来人ですからね。


世界の民族と信仰の中で、古代人の考え方に共通することがあります。

侵攻し、奪った民族の王族の姫を妻にし、

信仰する神も支配下に置き、都合のいいように変えていきます。

古代出雲の神であった龍蛇神は、

出雲国造の祖、ホヒ一族に乗っ取られますが、

信仰する神が変化する前に、神武一族(皇族)に乗っ取られたと思われます。

(出雲は、二度それぞれ違う渡来系勢力に侵攻されています。)


富神社がある辺りは千家と関わりが深いのか、道看板にも多数千家の字が見られます。

逆に考えると、この辺りが、

大国主命が生きていた頃の、一番の要所であったのではないでしょうか。

渡来人に何度も、神を上書きされても、

出雲神族の直系の名《富》が残るこの地には、

出雲の大神である、太古の龍蛇神が今も生きています。

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