出雲大社とスサノオ
こんにちは、はっさくです。
今回は『素戔嗚尊
』について
掘り下げていこうと思い、出雲大社に行ってきました✨
出雲大社といえば、主祭神は大国主命ですね。
しかし、出雲大社のこと・大国主命を知ろうと思うと
素戔嗚尊の存在は必要不可欠です!
そのくらい、素戔嗚尊と出雲大社には強~いつながりがあるとはっさくは思うのです。
さて、みなさん。
出雲大社に向かうため、たくさんの大きな鳥居を全てくぐっていざ大国主命が鎮座するお社へ…!
と、ここまで来たとき、まず本殿の手前にある拝殿からお参りしますよね。
では、拝殿の前に立ったときその正面に向かい合わせているのは誰でしょう?
実はこれが素戔嗚尊なのです!
えっ!?でも本殿に祀られているのは大国主命じゃないの?
そうなんですよ。
では、なぜ拝殿で向かい合うのが素戔嗚尊だと思うのか、出雲大社のつくりから見ていきましょう♪
拝殿のひとつ奥、本殿に祀られている大国主命は拝殿から見て左の方向を向いて鎮座しておられます。
そして重要なのはその本殿の奥です。大きな本殿のさらに奥に、素戔嗚尊が祀られている素鵞社があるのです!
簡単に描くとこんな感じのつくりになっています。
これを見ると、拝殿で対面しているのは
大国主命というより素戔嗚尊だと思う理由がわかってきませんか?
後ろの正面だあれ…
答えは素戔嗚尊なのかもしれません。
素戔嗚尊の功績
出雲大社で主祭神より先に対面する素戔嗚尊。
そんなすごい神様、一体どんな功績を残してきたのでしょうか
一番有名なのはやはり、八岐大蛇伝説ですよね。
八岐大蛇伝説を超大まかに説明すると、
素戔嗚尊が稲田姫を嫁にもらうことを条件に八岐大蛇を退治したお話です。
斐伊川という河川が伝説の舞台になったのですが、はっさくはこの八岐大蛇を斐伊川氾濫の比喩だと考えています。
現代でも大雨が降れば斐伊川が氾濫しそうになることがありますが、この伝説の当時は頻繁に氾濫していたそうです。
そして
稲田姫…稲…田んぼ…(稲田姫は素戔嗚尊の奥さまです。)
ということは八岐大蛇伝説って、素戔嗚尊が土地をもらうことを条件に治水事業を行ったお話!?
農耕文化を救い(もしくは、農耕文化を日本に伝えた)人々の生活を豊かにした素戔嗚尊―――
そのような生活の基礎があってこそ、大国主命は出雲をさらに発展させることができたのかもしれませんね
そう考えると、まず素戔嗚尊にご挨拶をするつくりになっているのも納得です。
そんな偉業を成し遂げた素戔嗚尊。
いつも人々のために動く心優しい性格で、出雲王朝をさらに発展させた大国主命。
出雲は素晴らしいリーダーのおかげで戦争もほとんどなく平和に統治されていました。
しかし大国主命は頑張って治めた土地を瓊瓊杵尊・天照大御神の勢力に譲ることになります。
ただ、これはほんとうに国“譲り”だったのか
はっさくは「譲った」なんてそんな穏やかに解決した話ではないと思っています。
「譲った」というより「占領統治」なのではないかと思うのです。ですがそのあたりの詳しい話はまた今度♪
今回はあくまでも出雲大社に行ってみて考えたことをお話しする回ですので(笑)
大和族の監視?
この国譲りに際して活躍したとされている天穂日命という神様がおられます。
出雲大社境内に天穂日命のお社があるのですが、その前に設置されている看板によると
なんと出雲大社の宮司さんは天穂日命の子孫なのだそう!
国譲りで活躍ということは出雲王国を滅亡に導いた勢力
その子孫が出雲大社の宮司。少し不思議に思いますね。
先ほど大国主命は拝殿に対して正面ではなく左を向いていると説明しました
それでは大国主命と向き合っているのは何でしょう?
答えは天穂日命のお社です。
このことに気づいた瞬間、はっさくはゾッとしました…
仕返しをしないよう、謀反を起こさないよう、見張っているのではと考えると鳥肌が立ちます。
ただ、天穂日命は国譲りで活躍したという説と派遣後に大国主命側についたという真逆の説が存在するため、このような意図ではない可能性もあります。考察ですからね(笑)
こういうのが神話の面白いところでもあります。
出雲大社の神紋
こちらは出雲大社の神紋
二重亀甲に剣花菱
はっさくは普段から出雲市近辺の色々な神社に行くのですが、どこへ行っても亀甲紋!
出雲王国の勢力範囲である証なのでしょうね。
調べると、島根県外の神社でも亀甲紋を使っている神社があるそうです。鳥取県・山口県・広島県・福岡県・長野県・滋賀県・愛知県・愛媛県など…
西日本に広く分布しています。長野県は国譲りの際に建御名方神が追われて辿り着いた諏訪の地で、関わりがありますね。
今は知名度の低い島根ですが、当時はどれだけ強大な勢力だったのか…
ちなみに、島根では10月を「神無月」ではなく「神在月」と呼ぶことは有名ですね。
旧暦10月に行われる神在祭で、全国から出雲に神様が来られるのですが、
その神在祭は、神迎えとして龍神祭から始まります。
そして神在祭期間には出雲大社境内に龍蛇神のお宮が特設されます。
はっさくの見解では、亀は龍で、出雲王国は龍神信仰だったのだと思います。
さて、これまでの考察で
「後ろの正面だあれ♪」
この答えは素戔嗚尊でした。
同じ歌の中に「鶴と亀がすべった♪」という歌詞があります。普通に考えると「なんのこっちゃ…」な歌詞ですよね(笑)
亀は出雲、渡り鳥である鶴は後から征服した大和。
「すべった」は滑ったのではなく統べたのだと思うのです。
皆さんは、この歌詞どう解釈しますか?
終わりに
皆さんも実際に出雲の地を訪れられて、古代出雲に想いを馳せてみられてはいかがでしょうか。
様々な人々とその暮らし
教科書では教わらない文化と謎
そう、この謎っていうところが
はっさくを神社に向かわせるのです(笑)
ロマンですね~😁
直接自分の目で見なければ解らなかったことが、ひとつでも解ると
数珠つなぎに、頭の中に世界が風景が広がります。
何が正しいのかは分からないけれど、自分なりの考察をすることができる楽しさ。
文字が残ってない時代(神代文字はありますが)だからこそ
色々、妄想(笑)することができます。
はっさくは、日本人ってどこから来たの?っていう疑問から神社巡りを始めました。
みなさんも、古代の謎解き
ワクワクしながら始めてみませんか?
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