【神の住居】西を向く大国主命【出雲大社】

出雲の神様
こんにちは、はっさくです。

これまで、出雲大社の参拝者に向かい合ってくださる神様と、

大国主命に向かい合う社について考察してきました。

その記事はコチラから

今回はこのことを、さらに深堀りしていきたいと思います。

西を向く大国主命

出雲大社本殿西側
一般的に、神社の本殿は南を向いています。

出雲大社本殿も南向きなのですが、御神体は西を向いています。

なぜなのでしょうか。

古代日本の人々は、災いは西からやって来ると考えていたからでしょう。


台風も西からやってきますね。

古代、九州で大噴火があり、

その噴煙が西から東に流れ、日本列島の半分をつつんで、太陽の光が差さない時期もあったそうです。

日が差さないと、食べるものが減り、疫病が蔓延することは容易に想像できます。


病は西からやって来る

大陸で流行した疫病は、朝鮮を経由し北部九州からヤマトへ

交易品とともに入って来ていました。

医の神の大国主命を西に向けることで、疫病からヤマトを護るという

鬼瓦的意味を持たせたのでしょう。


崇神天皇(三世紀後半~四世紀初頭)の頃、

ヤマトで疫病が流行し、人口が半減しました。

藤原不比等の頃、疱瘡が流行しました。

遣唐使が、技術を持った外国人を大量につれて戻ってきたためです。

500年の間に、何度も疫病が流行した記述が残っています。

祟りを恐れるヤマト

しかし、ヤマトの要人は、病の原因を出雲神の祟りだと思っていたようです。

天武天皇が発病したときも、

出雲から献上?させた草薙の剣の祟りとして神事を行ったようです。


垂仁天皇の子、本牟智和気ほむちわけが言葉を発さなかったのも、出雲神の祟りだとされた結果、

出雲大社が建てられました。

疫病や天災、なにか良くないことが起こる度「出雲神の祟り」なんて酷いですね。

当時は、祟りを抑えるために、占いをして行動を決めていたようです。

占いの結果で、

出雲大社建造や、出雲神の娘を正妻に迎えるなど、ヤマトの必死さがうかがえます。

なぜ、ヤマトはそんなに出雲神を畏れたのでしょうか。


全く出雲側に非がないのに、
卑怯なことをして陥れたか、残虐なことをしたとしか思えないほど畏れています。

出雲大社の「心の御柱」

出雲大社神殿は大社造りです。

神殿中央に「心の御柱しんのみはしら」と呼ばれる柱があります。

他の神社は、社が神の依代である(祝詞をあげて天から神を降ろす)のに対して、

出雲大社の造りは、「心の御柱」に大国主命の魂を縛り付ける形をとっています。


出雲大社には、常に大国主命がおられるのです。

神の住居として建てられたと言えば聞こえはいいのですが、

「心の御柱」に縛り付けて、祟りを回避しようとしたと捉えることもできます。

神在月に全国の神様が来られるのは、大国主命の魂を慰めるためでしょうか。

もしくはヤマト側見れば祟りを封じ込めるためでしょうか。

終わりに

古代日本では、祟りを別の祟りで抑えるという、呪術的なことが行われていました。

「菅原道真公」もそのように利用されているひとりですね。

政権のために尽くしたのにも関わらず、左遷され衣食住もままならなくなり亡くなっています。

ヤマトに大きな恨みを持っていた人物をに仕立て上げ、

恨みを別の祟りに向かせ、天皇側に向かせないようにしているのです。

はっさく的には、日本を良くしようと頑張った先人で、神として祀るのは大賛成です。


「心の御柱」を持つ神社は、大社造りの神社、伊勢神宮、貫前神社と少ないです。

神社に参拝される際は、神社の造りも見られてはいかがでしょうか。

神様の系統や、その土地の風習、政権の思惑、

色んなものが垣間見えて、私達の心を古代日本に連れて行ってくれますよ。


神様は孤独です。

神様は人が大好きです。

みなさんも、たくさん会いに行ってあげてくださいね。

笑顔で迎えてくださいますよ。

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