【神魂神社】御釜神事と祷家神事

出雲の神様
こんにちは、はっさくです。

今回は、松江市にある神魂神社かもすじんじゃに行ってきました。

この神社は、出雲国造が深く関係しています。

そして、出雲国造あるところに、謎はあります。

何が謎なのか、その答えは何なのか、

はっさくと一緒に解きにいきましょう。

存在しない神魂神社

御祭神は、イザナミ

1346年建立の最古の大社造り(千木が内削ぎで女神を示します)
内部の構造は、出雲大社と左右逆

昭和27年国宝指定


案内には、天孫族で国譲りの時最初に派遣され、

出雲に懐柔されたとされる、「天穂日命あめのほひのみこと」が創建したとあります。

天穂日命は、出雲国造の祖です。

しかし、
「延喜式神名帳」(国が認める平安時代の神社の一覧)と
「出雲国風土記」にはこの神社の名はありません。

風土記は、出雲国造で意宇郡大領の「出雲広嶋いずもひろしま」が編さんしているので、

自分の管轄する神社が、その時代には無かったというのは嘘ではないでしょう。


この疑問の答えとして、

神魂神社は、天穂日命から続く出雲国造家の私邸であって

798年(平安初頭)出雲国造が、出雲大社に移動を命じられるまでは

神社は無かったというのが正しいでしょう。


なぜ私邸を神社にしたのかは、

元々、熊野大社で祀りごとをしていて

出雲大社に移動してしまうと、熊野大社の神事を行うのに不都合が生じたためでしょう。

熊野大社の遙拝所という位置づけであると思われます。

御釜神事と祷家神事

ひもろぎ
「御釜神事」

神魂神社で毎年12月13日に行われます。

天穂日命が大国主命に国譲りを勧めるため、

高天原から御釜に乗って、大庭の里に現れたという伝説が由来。

釜の前に農作物や酒が供えられ、祝詞の奏上、神職らによる舞を奉納します。


祷家神事とうやしんじ

天照大神の誕生を喜び、

お七夜の日(1月4日)にイザナギ、イザナミは産婆神や204人の神々を招待し

祝宴をしたという故事に因む。

選ばれた祷人は、一年潔斎(穢れを祓うこと)

庭の柴(榊の神木に御幣をつけ、藁の蛇体を巻き付けたもの)に神様を迎えて

地域ぐるみで特別の田で、米を作ります。


神籬ひもろぎとは

神道において、神社や神棚以外の場所で祀りごとを行う場合

臨時に神を迎えるための依代になるもの。

神魂神社、本殿横にあり、祷家神事をするためのものでしょう。

神魂と神魂命

神魂神社と神魂命かみむすびのみこと、同じ字ですが関係あるでしょうか。

神魂命は、神話の中で度々出雲の神様を助けます。

はっさくは、神魂命は、渡来人(朝鮮の勢力であり、天孫族)が古代日本に来る前から

この地に根を張り、独自の宗教観をもって人々を導いてきた

出雲神族と呼ばれる人だと思っています。

かもすかみむすび(カムムスヒ)、

そもそも、音が違います。

昔は文字ありきではなく、音ありきでしたでしょうから

のちの世で、無理やり同じ字を使ったという方が辻褄が合うと思います。

常に保身を考える出雲国造

天孫族(朝鮮系渡来人)は、神武一族にしろ天穂日命一族にしろ

アマテラス信仰です。(太陽神はアマテラス)

かたや、出雲神族の太陽神は猿田彦です。(最高神はクナトの大神だと思います)

同じ神魂の字を使いながら、思想は全く違います。

しかし、この字を使うことで

渡来人だった出雲国造一族は、日本古来の神との繋がりをほのめかし

自らの正当性を主張したのではないでしょうか。


藤原不比等ころから(彼も渡来人だったのではといわれている)

出自を、日本古来の神に繋げるため色々と歴史改ざんをしています。

この時代の渡来系の豪族たちは、同じように出自を改ざんしているので

出雲国造も保身のために(民の上に立つために)多少の改ざんをしていたでしょう。

終わりに

出雲国造一族にが神事をしていたのは、元は出雲大社ではなく熊野大社でした。

実は「熊野大社」の御祭神も変えられているふしがあります。

今の御祭神はスサノオです。

しかし、口伝によればクナトの大神が元々の御祭神だったそうです。

なぜスサノオに変えたのか。

記紀神話にも出てくる様子から、スサノオは朝鮮系渡来人だったと思われます。

自分たちより先に出雲に渡来し、子孫がたくさん日本に根付いていたスサノオを

祭神にすることで、民の反感を買うのを阻止し

日本古来の神を拒絶する形をとったのだと思われます。

天孫族からも民からも反感を買わないように

全ては出雲国造の保身のために

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