【荒神谷遺跡】出雲の銅剣【古代出雲歴史博物館】

出雲の神様
荒神谷の蓮
こんにちは、はっさくです。

荒神谷遺跡と古代出雲歴史博物館に行ってきました。

今回の目当ては『銅剣』です。

出雲の銅剣は、他の地域で出土した銅剣とは少し違ったところがあります。

この違いから、古代出雲の隠された歴史を、

色々なパターンで考察してみたいと思います。

荒神谷遺跡の銅剣の特徴

荒神谷遺跡の銅剣 (古代出雲歴史博物館)
荒神谷遺跡では、358本の銅剣が一ヶ所から出土しています。

これは日本最多で、古代史・考古学界に衝撃を与えました。

この出雲の銅剣、他の地域から出土したものとどこが違うのか。


それは、両刃が研がれているという点です。


剣だから研がれているのが正解じゃないのか

と考えそうですが、違うのです。

普通、銅剣は祭祀に使われるもので、刃は研がれていません。

では、出雲の銅剣は祭祀に使われなかったのか、

というと、ちゃんと祭祀用に造られたのが、形状から分かります。


なぜ、銅剣が祭祀用といわれているのか

画像から解ると思いますが、

「つか」(剣の握る部分で、内部になかごという金属部分を収めています)に収める

部分の青銅がとても短いのです。

戦う剣として使用するなら、つかの部分に木などの持ち手が必要で、

それを安定的に(切ったり、振ったり、叩いたり)使うためには、

なかごが長くないと、抜けてしまうでしょう。


さらに、荒神谷の銅剣に使用された青銅は、大陸からのもので

とても希少でした。(希少であり、金色に輝く異質さであるがゆえ威信財になった)

それゆえに、無駄な柄の部分に、青銅は使いませんでした。


それでは、なぜ、出雲の銅剣は両刃が研がれているのでしょうか。

1⃣ 戦うため

《京都 亀岡市の出雲太神宮おおかみのみやの話》

神社のすぐ横手に方墳があった。

宮司の家には

『天孫族が襲って来たら、素早く掘り返せ。お前たちの身を守るものが出てくるだろう。』

という伝承があった。

方墳を発掘すると、出てきたのは銅製の武器ばかり。

人骨はひとつも無かった。

いざという時に備えて、遠い祖先が埋めておいてくれたんだ。



祭祀用に作られた銅剣、戦うために研がれたのならば、

そこに、どんなストーリーが考えられるでしょうか。


はっさくなりに、考察してみます。

古代出雲は、天穂日命(出雲国造の祖でスパイであったと記されている)一族に

国を乗っ取られるまで、出雲神族が治めていたと思われます。

何らかのかたちで、渡来人が攻めてくると知った出雲の人々は、

祭祀に使っていた銅剣を集め、両刃を研ぎ、戦いに備えたのではないでしょうか。

しかし、戦いをしてこなかった(戦いを好まない民族)ため、

研いではみたものの、武器としての剣は使い物にはならなかったのでしょう。

2⃣ 成形のため

バリ(銅を流し固まったときに出来る、不要な突起)が

付いた剣も見つかっていることから、バリを取るために研いだのではないでしょうか。

荒神谷の銅剣のみ研いだ跡があることから、

この技法が、出雲独自のものということがいえるかなと思います。

ならば、未だ見つかっていませんが、

出雲に、剣を造った跡があるはずと思いを巡らせます。

出雲には、希少な銅を交易で獲得できる大きな勢力と、

加工できる技術があったのです。

埋められた銅剣

荒神谷の銅剣はなぜ、死者の副葬品としてではなく、まとめて埋められたのでしょうか。

定説では、威信財としての価値がなくなったからと言われていますが、

はたして、そうでしょうか。

それは掘り起こされなかった理由にはなりますが、埋められた理由にはならないと

はっさくは思います。


考察① 祭祀に使用しなくなった

山岳信仰や磐座信仰だった出雲の人々は、

剣に宿った神を山から天に還すため、

祭祀用としては終わりますという意味の『☓』印を付けて埋めた。

(☓印は全部ではないですが、柄の部分に小さくあります。

作者を表している印という方があっている気がしますが… 謎です。)


考察② 隠した

隠した理由を2つ考えてみました。


●ホヒ族(出雲国造の祖の一族)に国を奪われたあと、

刃が研がれた銅剣が見つかれば、反逆の意思があると思われるのを恐れたため


●高価なものだった(信仰的にも大切にしていたものだった)ため、

取られるのが嫌だった

埋めらていた場所に空いている箇所があります。

もしかすると、何個かはお金的な使われ方をしたか、

同盟国に送って援護を頼んだのでしょうか。

終わりに

出雲には、現在たくさんの神社があります。

この神社という概念は、渡来人が持ってきたものです。

それ以前は、神社は存在せず、集落ごとに祭祀を行う場所があったと考察します。

その後、その場所は渡来人によって神社へと変化します。


延喜式神名帳(927年にまとめられた全国神社一覧)に記されている、

この地域の神社の数が、荒神谷遺跡で発見された銅剣の数ととても近いです。

この地方での祭祀をとりまとめる(政治を行う)出雲神族とよばれる一族が、

祭祀用の剣を作らせ、各集落に配っていたとみます。

何らかの理由で、族長がすべて回収したので、

358本の銅剣が一度に一ヶ所から見つかったのではないでしょうか。

荒神谷遺跡の位置と、出雲神族に関係する神社や遺跡を考慮すると、

この族長は、明治まで出雲大社で神迎神事を行っていた『富家』でしょうか。


今回は、「出雲の銅剣は研がれている」という一つの事実から

たくさんの道を考えてみました。

小さな疑問から、壮大なストーリーと風景がみえてきました。

みなさんも、古代日本の魅力を、ちょっとしたヒントから辿ってみてはいかがでしょうか。

神社や遺跡に訪れたとき、いつもと違った景色が見えてくるでしょう。

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