【大穴牟遅神】大国主命と鉄

出雲の神様
島根県吉田村たたら
こんにちは、はっさくです。

今回は、島根県雲南市吉田村にある、菅谷たたら山内・山内生活伝承館に行ってきました。

雲南市と奥出雲は、古代から砂鉄の産地です。

鉄と鉄に携わった人々の信仰を追ってみたいと思います。

大国主命の名前

みなさんご存知の「大国主命」、実はたくさんの別称があります。


大穴牟遅おおあなむぢ神、八千矛やちほこ神、葦原醜男あしはらのしこお杵築大神きづきのおおかみ、等々です。


なぜ、こんなにたくさんの別称があるかというと、

功績や土地の名、謂れがそれぞれ名前になっているからでしょう。


同じ神様でも、別な土地でお祀りすれば、

その土地の名がついた神様になります。

また、別の解釈で考えると、

「大国主命」は役職名で、時の流れとともに何代か続き、

複数人存在したかもしれません。


さらに、力のあった古代の人々の名前は、死後、付いたものと思われます。

例えば、長髄彦ながすねひこ(トミノナガスネヒコ)は生前、

登美毘古とみびこ(富家の皇子)、大彦おおひこ(皇子)といった単純な名前でした。

大穴牟遅神

草薙の剣レプリカ
たくさんある別称のうち、「大穴牟遅神」という名前を追っていこうと思います。


古事記では、大穴牟遅神

出雲国風土記では、大穴持命

両方に共通する、穴(ナ)の意味とは一体なんでしょうか。


砂鉄を含む山のことを、鉄穴山(かなやま)、

砂鉄を採ることを、鉄穴流し(かんなながし)、

それに携わる人を、鉄穴師(かなじ)と言います。


「古事記」 允恭天皇の段では、

軽箭(かるや) ― 鏃(やじり)が銅製の矢

穴穂箭(あなほや) ― 鏃(やじり)が鉄製の矢

という語が出てきます。(鉄の方にだけ穴の字)


穴穂の「穴」は、鉄穴の意味で、穂は秀でたものという意味。

つまり、鉄穴の良いもの=砂鉄 というわけです。


そして、「穴生」「穴太」(あのう)は産鉄地です。
(ちなみに、吉野の「賀名生あのう」も地名の由来は、「鉄生」)


穴は「鉄穴」の意から「鉄」に限定して用いられる

つまり、大穴牟遅神は「偉大な鉄穴の貴人」


ということになります。

大国主命と吉備とを繋ぐ

軍事と祭祀を司っていた、物部氏。

物部氏のルーツは吉備(岡山)です。

吉備は、鉄鉱石と砂鉄が採れ、

早くから鉄製の武器や農具の加工が盛んだったと思われます。


欽明天皇が、仏教を国に取り入れようとした時、

祭祀を行っていた物部氏(神道)は、

「国津神がお怒りになる」と言ったことから、

地元吉備の物部氏も、

国津神(天孫でない、元来の神々)を信仰していたことでしょう。

大国主命は、国津神の代表的な神様です。

同じく、出雲も国津神を信仰し、

祭祀に使う吉備の土器が、出雲で出土している点から見ても、

古代出雲と古代吉備は交流し、

同じ価値観を共有していたのではないでしょうか。


中山神社(岡山県津山市)

祭神は金山彦神ですが、もとは大穴牟遅神を祀っていました。


昔、この地で肩野物部乙麿というものが、大穴牟遅神を奉じていました。

乙麿に関係がある地に、古代製鉄跡が発掘され、

7世紀代のものと推定されました。

物部氏は、大穴牟遅神を奉じて製鉄に携わった一族でしょう。

大穴牟遅神は製鉄の神として祀られていたのではないでしょうか。

大国主命と大和三輪山を鉄で繋ぐ

大和の三輪山は、大物主命おおものぬしのみことが鎮座する山です。

大物主命とは、大国主命の和御魂にぎみたまであると言われています。


西南麓に金屋遺跡があります。

弥生時代の遺物とともに、鉄滓てっさい(鉄を精錬する際、分離した不純物)、

吹子の火口、焼土が出土しました。

「金屋」という名も、もちろん製鉄をしていたことを示しています。

(吉田村の伝承館にも、金屋子神を祀った御神木がありました。)

この三輪山の西南麓は、大和における水稲耕作のはじまりの地で、

鉄によって農機具が発展したものと思われます。


大物主命は、農業の神様とも呼ばれています。


また、山ノ神遺跡から、鉄製の剣片が出土しています。


三輪山は、古代の鉄生産に関わる山で、

祭神「大物主命」 = 「大国主命」は、鉄に関わる神だといえるでしょう。

終わりに

出雲の製鉄や古代の製鉄を調べている時、目からウロコな事実がありました。

鉄のことを知る前は、青銅器のことを調べていたので、

はっさくの頭の中で、大きな思い違いがありました。

青銅は、大陸産の貴重なもので、

完全に溶かし(1100度)石の型に流し込んで、祭祀の道具を造っていました。

なので、鉄もドロドロにして型に流すのを想像してしまっていました。

しかし、鉄は溶解しなくても7~800度の熱で、可鍛鉄を得さえすれば

熱してはたたき、という工程で道具が作れてしまうのです。

(刀剣を創る工程は知っていたのに、忘れていました💦)

さらに古代は、

自然風を利用して、薪と砂鉄で還元鉄の塊を拾い出して、

打ったり、たたいたりして、加工していました。

吉田村の方のお話によると、

現在のような高温で溶かすより、

野タタラのような低温でゆっくり溶かすほうが、

純度が高い鉄が採れるそうです。

高温で溶かすと、他の物質も溶けて混じってしまうとか。


このように、高度な施設がなくとも鉄製品はつくれ、

砂鉄が豊富な日本に、一気に広まったのでしょう。


鉄の農機具で、開墾し、農作物の収穫を増やし、

目に見えて、人々のくらしは良くなったことでしょう。

鉄が広まると同時に、

製鉄の神である大国主命信仰も全国区になったのではないでしょうか。

古代の人々は、自分たちを豊かに導いてくれたのは

大国主命だと考えたのです。

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